2012年12月28日

【MLB】松井秀喜引退を受けて公式サイトが記事を掲載 現地ファンの反応は?

 ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜が、引退を表明しました。これを受けて、MLB公式サイトが記事を掲載しています。その内容は以下の通りです。

Godzilla says goodbye: Matsui calls it a career (MLB.com)

 「木曜日、松井秀喜が球界からの引退を公式に発表した。彼は、日本で恐るべきキャリアを築いてから、多大な歓迎を受けてアメリカに来て、2009年のワールドシリーズMVPという驚きに値する活躍を見せるなど、ヤンキースで強い印象を残した選手であった。

 38歳の松井は、ニューヨークでの記者会見にて、20年間に及んだプロ野球選手人生に区切りをつけることを表明した。彼は、1993年〜2002年に読売ジャイアンツでプレーして、日本史上で最も圧倒的な打者の一人としての地位を確立し、その後ヤンキースで7シーズンを過ごした。

 “20年間(日本で10年間、アメリカで10年間)、応援してくれたファンに感謝を伝えたい。多くのファン、素晴らしいコーチやチームメイトに支えてもらった。”と松井は語った。

 そのパワフルなスイングから“ゴジラ”というニックネームを持つ松井は、日本で332本塁打、メジャーリーグで175本塁打を記録した。そのうち140本塁打は、ヤンキースのユニフォームで放ったものである。松井は、他にエンゼルス(2010年)、アスレチックス(2011年)、レイズ(2012年)でもプレーしている。

 ヤンキースのマネージング・ゼネラル・パートナーであるハル・スタインブレナーは次のような声明を出した。“いろいろな形で、松井秀喜はヤンキースという組織のあり方を象徴する存在であった。仕事に対して献身的で、チームやファンへの責任を受け入れ、最も必要なときにこそプレーの質を向上させていた。”

 “彼は、これらのこと全てを、まさしく謙虚に行なっていた。だからこそ、彼はヤンキースの成功のためにあれだけ重要な役割を果たしたし、彼はこれからもヤンキースファミリーの一員として愛されることになるだろう。”

 ヤンキースでのプレーを終えた松井は、その後エンゼルス、アスレチックス、レイズで320試合に出場し、打率.252、35本塁打、163打点であった。2012年はレイズで、95打数で打率.147に終わり、8月に解雇された。

 松井は語った。“過去2シーズン、あまり良い結果を残せなかった。また、5年ほど前から、両膝の調子が良くなかった。手術後も、フィジカル・コンディションはベストには戻らなかった。”

 通算打率.282、通算打点760の松井は、本塁打数でも打点数でも四球数でも、メジャーリーグ史上で最高の日本人選手だ。日本では最後の1250試合に連続出場をしていて、ヤンキースでも最初の3年間は一試合も休まず、518試合連続での出場を記録した。

 松井の仕事熱心さを示す好例として、次のエピソードがある。2006年5月、レッドソックス戦でスライディングキャッチを試みた彼は、左手首を骨折してしまった。その後、松井は怪我をしたことについて、チームメイトやジョー・トーレ監督(当時)に対して、謝罪声明を発表したのである。

 ヤンキース主将のデレク・ジーターは語る。“過去に何度も話してきたけれど、改めて説明しておきたい。自分はヤンキースで多くのチームメイトと過ごしてきたけれど、彼は僕にとって最も好きなチームメイトであり続けるだろう。彼の仕事への取り組み方は、印象的だった。”

 “彼は多数のレポーターに取り囲まれて、ニューヨークと日本という両方のファンからのプレッシャーを受け、ニューヨーク・シティならではのスポットライトに慣れなくてはならなかったのに、いつも集中して仕事に専念し、クラブハウスでの僕達と共にあった。”

 膝の手術を受けた松井はキャリア晩年において、怪我を心配されて外野でのプレーが制限された。しかし、彼は指名打者としてのスキルを高めて、ヤンキースでの日々を大成功という形で終えることができた。

 松井は、ワールドシリーズMVPとして、新たなヤンキー・スタジアムの内野にて、優勝トロフィーを掲げたのだ。彼は、フィリーズ相手の6試合で13打数8安打3本塁打8打点を記録し、ヤンキースに勝利をもたらした。

 ジーターは語る。“僕はヒデキを大いに尊敬している。僕達は多事な場面で、彼を頼りにしていた。彼は、僕達が2009年に世界王者になった大きな理由だよ。”

 ヤンキースでの最後の試合で、松井は4打数3安打1本塁打6打点を記録し、チームのワールドシリーズ優勝を決めた。1試合6打点は、ワールドシリーズ史上最多タイ記録である(松井と並んでいるのは、1960年のボビー・リチャードソンと2011年のアルバート・プホルス)。

 “たった今が、自分の人生の中で最高の瞬間と言っていいと思う。”と、松井は、その11月の晩に語った。太平洋の両岸(日米両国)からの拍手喝采を浴びて、彼は拳を空へと突き上げた。

 ヤンキースのゼネラル・マネージャーであるブライアン・キャッシュマンは語る。“ヒデキは、選手が試合にかける情熱によって、世界中の人々を惹きつけられるのだということを証明した。ヒデキは、若いファン達に見習ってほしいと感じさせるような選手であり、人間であった。彼は、誇り、規律、そしてもちろん才能を持ってプレーし、最も輝かしい舞台でこそ活躍した。”

 “人々は自然と、彼に惹きつけられる。このことは、彼の性格を良く反映している。彼は、あらゆる意味で真のプロであった。彼がヤンキースの一員としてチャンピオンのトロフィーを掲げることができたのは、喜ばしいことだ。”」


 なお、この記事に対して現地ファンから多くのコメントが寄せられています。そのうち高評価がついているコメントTOP10は以下の通りです。

 「ニューヨーク・ヤンキースでプレーしてくれてありがとう。僕達は松井秀喜のことを、いつまでもチャンピオンとして忘れないよ。」

 「偉大な選手の偉大なキャリアだったね。ニューヨークはヒデキを愛している。最高の選手の一人だった。」

 「松井は、いつも正しくプレーをしていた選手の一人だよ。他人をバカにしたり、言い訳をしたりしない、素晴らしいチームメイトだった。彼のような選手がもっと必要だ。」

 「松井秀喜は、上辺だけではない、ものすごい野球選手だった。正道を歩み、常に全力を尽くすタイプの選手だった。」

 「松井は、多くを語らなかったし(言葉の壁という意味ではなく)、その必要もなかった。彼の数字こそが、彼を体現していた。海を渡って彼のような活躍をした日本人選手は珍しい(打者に限ればもっと)。とても良い打者であると共に、落ち着いた物腰だった。この両者を兼ね備えているスター選手は少ない。僕は、彼がスプリング・トレーニングでプレーしているところを見たけど、大好きになったよ。彼の日米両国での業績を考えれば、大いに賞賛すべき好選手だった。」

 「彼は満塁ホームランを打って、ヤンキー・スタジアムに“こんにちは”と挨拶した。彼は、6打点&ワールドシリーズ王座と共に、“さようなら”を告げた。彼は、ヤンキースの敵であったレッドソックス、メッツ、ペドロ・マルティネスに天罰を加えた。真のヤンキース選手だ。」

 「ゴジラが球界で最後の咆哮を発したんだね。彼は、見掛け倒しではなかった。スポットライトを探していたわけではないのに、自ずとスポットライトを浴びる選手だった。自分の仕事を果たし、熱心にプレーし、全力を尽くし、不平を漏らさず、他人を批判しなかった。自分が活躍してもチームが敗れたら、ただ“負けた。”と話した。自分が不調でもチームが勝てば、ただ“勝った。”と話した。自分が不調でチームも負けたときは、ただ“明日はもっと頑張る。勝ちたい。”と話した。

 とてもシンプルで、とても慎み深い選手だった。古き時代の選手の態度のように感じられた。私は、彼が2009年ワールドシリーズでフィリーズを破壊したことを忘れないだろう。そして、彼がいかにニューヨークを愛したかということも。球界にとって、真の宝だった。」

 「松井がヤンキースの一員として引退してくれたら、素晴らしかっただろうなぁ。」

 「シンプルに言おう。松井、君は最高の選手の一人だった!上品さと敬意を持ってプレーしてくれてありがとう。」

 「私はレッドソックスファンだが、彼がバッターボックスに入るのを見るのは嫌な気分だったよ。このことは、ヤンキース以外のチームのファンが彼にかけられる最大級の賛辞ではないかな。松井、君は一流選手で、観ていて面白かった。引退後の生活も、これまで同様に素晴らしいものでありますように。」

posted by スポ館 at 19:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | MLB/NPB | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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